子育てダイアリー〜パパと、息子と、時々、妻〜

もうすぐ2歳になる息子との奮闘記です。

躾(しつけ)〜叱ること、怒ること、時々、悩む〜

おはようございます!ヨッピーです。
 
ますます感情表現が豊かになってきた息子。
 
喜怒哀楽がハッキリとしてきて、素直な反応がとても面白いです🤤
 
しかし同時に、「嫌!!」という反応もしっかりとするようになり、
 
少々悩みの種になりそうです。
 
 
 
そうなってくると、考えてしまうことが「躾」。
 
しつけです。
 
街中で、子供連れの親御さんが子供を叱ったり、
 
走り回ったり、言うことを聞かない子供に怒ったりする光景は、
 
結構な日常の一つと化しています。
 
それが、自分が親となり、暴れまわる子供の保護者の立場になるということが、
 
こうして訪れようとは(笑)
 
 
 
 
そもそも「躾」とは何なのか。
 
「身だしなみを美しくする」と漢字の成り立ちで見ると、
 
ふむふむ、うなづける。
 
しかし、以下の故・岡本夏木先生(元京都大学京都女子大学教授)の言葉はもっと頷けてしまいます。
 
 

 

(省略)五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸をはずしはじめる年齢にあたります。それまでは親が外側から枠組みを与えて、子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせていたのですが、いよいよその枠をはずして、子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に入っていきます。
 
 しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の自律にゆだねることです。しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。外からの強制によって社会のきまりをあてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。
 
 このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそがしつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、しつけのねらいなのだと言っているのですから。とまどいを与えるようで申しわけないのですが、しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。
 
 
 
「躾(しつけ)」の目的は、子供が自らを律することができるようにしてあげること。
 
この文章を読んで、
 
自分は形式的な「躾」を息子に与えてしまってはいないだろうかと自問自答しました。
 
その方法がどんな方法であれ、
 
外的要因だけでなく、内的要因を見て、
 
自ら行いや言動をやめるように導いてあげること。
 
 
 
まだまだこれから、親として成長していかなければと、
 
息子を見て感じるヨッピーです!!
 
息子の5倍は感情豊かでいないとなぁ(笑)
 
では、ヨッピーでした!!
 
 
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